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自分と本気で向き合うということ

正直、ここ最近(引越ししてからの数ヶ月間は特に)、もっと言えば、時間が経てば経つほどに、自分の中でモヤモヤが大きくなっている感覚があった。

そのモヤモヤは、自分の将来のこと、具体的には、

  • このままこの会社にいていいのか
  • もっとバリバリ働かなくてはいけない
  • 今の職場で稼げるお金の限度が見えている
  • 家族をもっと素晴らしい環境で生活させてあげたい

などなど。

でも、何か行動に移すと、何か違う、何か自分の心に摩擦を感じている感覚があった。

そのモヤモヤを解消するため、紙に自分の思いを書き出したり、コーチングの体験セッションを受けたり、色々なYouTubeを見てみたり、自分の中で解消できないか試みたが、結果同じ地点に戻って、またモヤモヤを感じた日常に逆戻り。

でも、今、ようやくモヤモヤから解放された。前に進んだというより、原点に立ち返ったような感覚。

自分にとっての原点は、社会人になる前の自分が感覚的に近い。

今だからそうだったのかとわかったが、1社目の住宅営業で、厳しい環境に適用させるため、その環境で生き延びるため、自分自身を曲げて、合わせて、その自分が自分であると本気で錯覚させて、今まで生きていたのだと認識している。

店長との再会、そして過去の自分自身との訣別

当時の店長と飲みに行き、店長の会社でまた一緒に営業をしないか、というオファーがあった。

自分としては、

  • また店長と一緒に働ける(感覚が近い人と一緒に働ける)
  • バリバリ仕事に打ち込み、人生を有意義なものにできる
  • お金も桁違いに稼げる

などの要素を魅力的に感じた。

その後、所長の方と飲みに行く機会をいただき、色々と話を聞かせていただいた。

結論、めちゃくちゃ面白くなかった。

というより、感覚が全く合わないと感じた。

それは、所長に対してもそうだし、店長に対しても同じ印象を抱いた。

  • 自分が死んだ時に、どれだけ葬式に人が来てくれるか、ということをイメージして日々生きているらしい。
  • 自分の葬式で、部下に自分の悪口を言いながらみんなで集まって酒を飲んで欲しいらしい。
  • 飲みの席で、周りにいる人を、「誰が契約してもらえそう?」と話ながら酒を飲むのが楽しいらしい。
  • 自分の知り合いを増やしていくことに日々頑張っているらしい。

正直、どれも自分には響かなかった。

そして、決定的だったのは、自分が終電を逃してしまった時の対応。

大前提、自分が時間を確認していなかったのが悪いが、終電がないと確認ずみにも関わらず、帰れる帰れると言って駅に送られて放置された。(後日お礼と始発で帰ったことを伝えると、やっぱり終電なかったか、ごめんな!という白々しい反応)

今の会社の人では考えられない感覚。

この人たちと一緒に働きたいか、と考えた時点で、答えはNOだが、この一連のきっかけを経て、少なくとも自分自身とかなり真剣に向き合うことができた。

店長とも、ある意味、営業対営業の立場で関わるのではなく、人対人で関わった結果、全く感覚が合わないことに驚いた。

要は、自分が信じていた社会人の感覚は、全く感覚が合わない人に擦り合わせて構築したものだった。

それがわかった(というか痛感した)とき、本当の意味で自分自身と向き合い、自分自身の価値観を見つけることができた。

自分自身の価値観

自分が譲れない価値観は、族との時間を大切にして過ごすこと、そして、その中で精一杯働ける環境(会社)で働くこと、だ。

これは、決してブレることのない価値観。だから、家族との時間を削ってまで大金を稼ぎたいとも思わないし(700-800万を目指すなら来なくていいと言われたが、やっぱり自分的には700-800万で足る)、価値観の違う人と社員旅行に行って時間を浪費することもしたくない。

根拠や理由は言葉にしなくても、家族の会話や表情を見ながら時間を過ごすのが、何よりも幸せだと感じる。

家族との時間を第一に考える、そんなの当たり前。そういう店長は離婚協議中。自分からしたらふざけるなって感じだ。

どれだけ大きないい家に住んでいてもそうなっている。高い年収といい家でも家族との関係性はボロボロ、家にいても息が詰まるという感覚、やっぱり、どんな家に住むかより、誰とどんな時間を過ごすかが大切。

この機会を経て、自分で歪ませた自分自身の価値観を正すことができた。

自分自身と本気で向き合えたことで、ようやく自分の足を一歩前に踏み出せそうな気がする。

長らくモヤモヤから抜け出せなかったが、今はすこぶる気持ちが軽い、快晴だ。